伊丹市の歴史
目次:【伊丹市の歴史】
今回は兵庫県伊丹市の歴史をざっくりまとめます。
伊丹市の歴史
伊丹の歴史をひもとくと、発掘される遺跡や出土品から縄文時代にさかのぼります。
縄文時代晩期には阪神間では初めての米作りが始まり、続く弥生時代には本格的に行われました。
口酒井遺跡はその頃の遺跡です。
御願塚古墳に代表される古墳時代を経て、
奈良時代には僧・行基が昆陽池を築造し、昆陽施院(現在の昆陽寺)なども建立しました。
また、伊丹廃寺(国指定史跡)が建てられたのもこの頃です。
平安時代の伊丹には、都の貴族や大社寺の荘園が多数作られましたが、その一つ摂関家領橘御園を鎌倉時代から管理していた伊丹氏は、南北朝時代には伊丹城を築き、
さらに戦国時代には摂津国の3分の1を支配するまでに成長しました。
天正2年(1574年)、荒木村重が代わって城主となり、城の名も有岡城と改めて、
ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスも称賛した名城に改修しました。
しかし、同6年(1578年)、村重は主君・織田信長に背き、10カ月の籠城の後、
信長の諸将に攻め落とされました。その城跡は国指定史跡として整備されています。
寛文元年(1661年)、伊丹郷町のうち伊丹・植松・高畑など10カ村(後には12カ村)が
近衛家領となり、川辺郡の経済・文化の中心として栄えました。
近衛家が力を注いだ産業の振興はめざましく、とくに伊丹で作られた酒は
「伊丹酒」「丹醸」として、江戸の人々に愛飲されました。
また、郷土が生んだ俳人・上島鬼貫は「誠の外に俳諧なし」と悟り、
数多くの秀句を残しました。そうした風土から形成されたのが、
日本三代俳諧コレクションの一つ「柿衞文庫」です。
近代に入り、明治4年(1871年)、近衛家領は兵庫県に編入され、以後数回の変遷を経て、
同22年(1889年)、町村制にもとづく伊丹町となりました。
また、同24年には川辺馬車鉄道が開通し、
のちに大阪と舞鶴とを結ぶ阪鶴鉄道に発展しました(現在のJR福知山線)。
さらに、大正9年(1920年)には阪急伊丹線も開通し、
これら鉄道によって産業経済が促進されるとともに、近郊住宅地としても発展してきました。
そして、昭和15年(1940年)11月10日、伊丹町と稲野村が合併し、
全国174番目の市として市制を施行、同22年(1947年)、
神津村を編入、同30年(1955年)には長尾村の一部を編入して現在の市域となり、
平成22年(2010)11月には、市制施行70周年を迎えました。